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巡り巡って辿り着いた
気持ち新たにはじめる第二の人生

田中秀一さん、美智子さん(東京都)

定年を迎えるにあたって「移住しよう」より「旅をしよう」が先だった田中さん夫婦
行くならば行ったことがないところへ
訪れた先々で土地柄を知るたびに自分たちの快適な暮らしを考えるようになりました

巡り巡って辿り着いた
気持ち新たにはじめる第二の人生
田舎の自然の豊かさと都会の利便性が融合したまち

僕たちの頃は企業スポーツが盛んでね。とリビングに飾っている写真には勤めていた自動車メーカーでアメフト部の創部から最後は監督まで努めた恰幅の良い秀一さんの姿がありました。

「働き詰めの生活だったので、定年後はのんびりしようと。生まれも育ちも東京で田舎の経験がないから、過疎地だと将来苦労するだろうと、住むなら都会と田舎の間を考えていました」。

穏やかに暮らせる地を探していた二人は、移住フェアで臼杵市のブースと出会い、大分に興味を持ちました。

それから空き家を探しますがこれと言った物件と出会えず。


一旦は諦め他所を検討しようと空き家バンクを眺めていた矢先、宇佐の物件が目に飛び込んできたのです。

「近々山口に行く予定があったので距離的になんとか行けると急きょ向かいました。役所の方に市内を案内いただきながら急ぎ足でその日を終えたんですが、宇佐の街並みが忘れられなくて」。

心に残った物件は田畑や山を身近に感じながらも、歩いて行ける範囲に商店街や公共施設があり便利が良いところ。何より空が広くて印象的だったと美智子さんは微笑みます。


新しい環境で新しい体験を

東京の家は下町の活気あふれる場所にあり、一日中人も車も動いて音が途切れませんでした。

今は夜になると、聞こえるのは風の音、鳥のさえずり、虫の声⋯。朝には窓から日の出が見え、あまりの神々しさにしばらくは毎朝写真に収めていたほど、自然が近い暮らしは新鮮そのものでした。


「移住して何をするって目的はなかったんですけど夫は動けるうちは働きたいと農園や牧場など都会で経験できない仕事を探してきましてね。体力には自信があるんですが、年齢を理由に断られガッカリしたこともありました。ですが、街の方々は概ね親切な方ばかり。もっと人と関わりたくて郵便局を受けてみたんです。初めは地理がわからないだろうと不採用だったものの、めげずに門を叩いていたので最終的には集配の仕事に就きました」。

市内全ての郵便物が集約される本局で3年勤めた秀一さんは、毎日が旅気分だったと楽しげでした。


現在はみかん農園のアルバイトと、リフォーム時に知り合った塗装会社でペンキ塗りをしています。


先輩方に教わる暮らし術

移住の悩みの一つに「地域に馴染めるか」がよく挙げられますが、美智子さんもはじめのうちは不安でした。

「住み始めはコロナの関係で交流を深める行事ごとが一切なくてどうしたものかと。夫は以前から顔を売って歩くような人なのですぐに馴染んだんですけどね。清掃日には真っ先に行ってみなさんを待ってるんですよ」。

東京では大々的な草刈りはありませんでしたが、ここではマスト。草刈り機の使い方や効率の良い方法を地域の方に教わり、今や扱いはお手のものです。


教わったと言えば、畑と庭の手入れもそう。

「空き家状態が続き伸び放題だった草や植木の剪定を業者に頼んでいたんです。お隣さんに会話の弾みでその旨を伝えたら、手伝うから断りなさいと言われて」。

庭がある生活が初めての二人に手取り足取り教えてくれたのでした。


「主に野菜を植えていますが、正直言うとふたり暮らしには余るほど採れることもありますし、トータルで考えればお店で買う方が安いです。ですが食べたい時に採れたてを味わえるのは都会じゃできないこと」。

また、お隣さん曰く、余っていないことは足りていない。お裾分けや保存食が作れる量が十分な量なのだとか。

なるほどと思った美智子さんは、今年は収穫した大根で切り干し大根を作りました。


家族ぐるみの付き合いも増えました

移り住んでから3年。

お隣さんとのお茶会は日課となり、連絡を取り合う友人も増えました。

「私たちが食べたことがないと知って、郷土料理のがん汁を作ってくれたり、名物のスッポンを自ら仕掛けて捌いてくれた方もいて。その時は友人たちを招いて刺身、唐揚げ、鍋、生き血と堪能しました」。

宇佐は海や山の美味しい食べ物が多いのも魅力のひとつ。高い栄養価が注目されているジビエも特産品です。

温泉に行った時に猟師らしき方がいて、秀一さんが話しかけたらお裾分けをいただけたこともありました。


宇佐の人は人情があるとか、友好的とか、移住者はみんな口を揃えてそう言います。

「子どもたちも初対面にもかかわらずすれ違うと挨拶してくれるんですよ。挨拶は人間関係を築く上で基本中の基本とは言いますが、当たり前にできるってすごいなと思います」。


移住を検討しだした頃は宇佐を知らなかったとは思えないほど地域に溶け込んでいる田中さん夫婦。

いろんな街を巡ってその土地を味わい、価値観をすり合わせてきたからこそ、心地よく暮らせるまちと巡り会えたのかもしれません。


(取材/2023年秋)

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